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栄光の
ソ連科学
アカデミー
soviet

私が客員研究員として滞在していたのは,ソ連科学アカデミーの情報伝達問題研究所というところで,ロシア語の名前Институт Проблем Передачи Информации = Institut Problyem Peredachi Informatsiiの頭文字をとってIPPI(イッピ)と呼ばれていました.ソ連科学アカデミーの研究所は「何とか問題研究所」というのが好きなようで,「経済社会進歩予測問題研究所」というのもありました.

 

この写真は研究所の玄関です.都心部にある6階建てのビルで,どのくらいの年代のものかは知りませんが,外壁や窓枠に色々な装飾のついたちょっと古い感じのものです.玄関の左側にある黒いプレートに,研究所の名前が書いてあります.黒いプレートは,政府機関に所属していることを表しています.モスクワ市所属の建物は赤紫色でした.

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私が所属していたのは,この研究所の6階にあるディジタル光学研究室です.この研究室は,1975年10月22日,惑星探査機ヴェネラ(金星)9号が送信してきた画像をコンピュータ処理し,世界で初めて金星の地表の写真を発表したことで知られています.この写真に写っているパネルはそのときの技術を紹介するもので,左端には地表写真も写っています.

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この写真の左後ろにある写真は,そのときに発表された金星の地表写真です.右の人はこのときのディジタル研究室長Leonid P. Yaroslavsky教授で,現在はイスラエルのテルアビブ大学で研究していらっしゃいます.左の人は当時大学院生だったVitary Koberさんで,物理を専攻する前は音楽大学でピアノを専攻していたというちょっと変わった人です.その後スペイン・韓国で研究していらっしゃいました.

他にも,この研究室で研究していた人で,ソ連崩壊後外国に移っている人はたくさんいます.私が滞在した当時は,科学アカデミーはソ連の中ではとくに優遇されており,特別に食料品の配給があったりしましたが,ソ連崩壊では,研究機関にとっては厳しい状況になったようです.

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この写真のコンピュータは,ヴェネラ9号の写真の処理を行ったものです.見るからに年代物のコンピュータですが,なんと私が行った時でもまだ動作が可能でした.実際にデータ転送に使いましたが,やはり通信はときどき途切れました.手前に見える端末はロシア語キーボードを持ち,表示も全部ロシア語です.

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さすがにこの時点ではこのようなパソコンが主役になっており,私の実験もこの計算機で行いました.これはIBM-PC互換機の286マシンで,また滞在中にはSunのSparcstationの購入の話も聞きました.

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なお,上2枚の写真に写っているのは,当時25歳の私です.当時私は大学院生で,この滞在ではじめて本業の研究で給料をもらいました.私の「初任給」はソ連科学アカデミーからもらった「日給9ルーブル」というわけです.当時,円・ドル等の外貨をルーブルの現金に交換するレートは1ルーブル=25円だったので,私は日給225円ということになります.しかし,安い「飯屋」なら1〜2ルーブルで昼ご飯が食べられましたし,滞在していた科学アカデミーホテルの滞在費は別に出ていましたから,まあまあの給料といえます.月給にすると270ルーブルということになりますが,地下鉄の運転手の募集広告に月給300ルーブルと出ていましたから,やはりまあまあといえるでしょう.右の写真は,滞在していた科学アカデミーホテルの玄関です.

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